2000 ボッカトレ[男体山] |
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[報告者] 平江 誠 実施日:2000/6/ 3 〜 4 |
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2 度ほど道を間違えながらも、何とか 『 志津小屋 』 手前の車止めに到着。 小屋まで徒歩 5 分程の道のりを一人 3 往復して荷物を上げた。 控えめにビールで乾杯し入山祝いも滞りなく済ませ、 各自共同装備をザックに詰めこみ男体山に挑む。 楽しい会話が飛び交ったのも最初の 10 分程で、 急斜面の連続する登りに皆があえいでいる。 眺めるには美しく雄々しいこの山も、 登るとなるとかなり厳しい。 山から下りてくる人たちの殆どが 5 、 60 歳のおじさんおばさんの団体で、すれ違う度に 「 やれそんなに急ぐな 」 だとか、 「 まだ先は長い 」 などと聞かされ気持ちもめげてくるが、何より今年初めてのハードな運動に体が付いていけず、 ついつい休みがちとなってしまう。 六合目・八合目と休みをいれながら徐々に高度を稼ぐが、 森林限界を越え残雪も現れはじめ足元がおぼつかない。 九合目あたりで頂上の小屋が見えた時は嬉しかった。 そこからは尾根筋の道もなだらかながら、重い足を引きずり何とか歩を進め、 20 分程で頂上到着。 ガスで煙っているものの頂上から直下に見える中禅寺湖に、 思わず感激の声を発してしまった。
大分軽くなったザックに足取りもかるく ( 酔いのせい? ) 下り始めるが、雨でドロドロになった赤土の斜面はツルツルと滑りやすく、 スパイク足袋の二人を除いては皆、足場の確保におおいに苦労した。 私も思わず足を滑らせ、 木の根に 小屋には二組のグループが各自のスペースを確保して、 夕餉の仕度をしている。宴会用に二階をキープし着替えをしていると、日曜日登山組の小池さんたちがやってきた。 ついていない時は悪いことが重なるもので、私の長男が交通事故に会ったとの伝言を聞かされた。 最初は冗談だと思ったが山本さんのあまりの真剣な顔に笑っていられなくなる。 早速携帯で連絡をとってみたが、 話し中(電波の具合か?)でいっこうにつながらない。 それをみた杉森くんが車で里まで送ってくれ、 その上もし家に帰るようであれば送っていくとまでいってくれた。 ( 感謝!! ) 三本松茶屋の公衆電話でなんとか連絡をとることができ、 容態はタイヤに右足(ふくらはぎ)を踏まれたにもかかわらずほとんど怪我もなく元気だという。 医者は 「 通常であればまず骨は折れているが、幸運が重なったのだろう 」 と言っていたそうだ。 ひとまず安心しその旨を報告すると、 重々しかった雰囲気もしだいに和んできた。 後で聞いた話だが、 最悪の場合は家まで送っていく算段も出来上がっていたと聞き、 あらめて仲間の大切さ ・ ありがたみを教わった気がした。 東北遠征に次いで災難続きの私に 「 厄払いに行ったほうがいいよ 」 との肇さんの意見に皆が同意していた。(早速行って来よう!!) 宴会は焼き鳥のもうもうの煙の中で始まり、 各自持ち寄った隠しつまみを肴に盛大に盛り上がった。 恒例の宇賀神さんの山菜料理や小池さんの大量のワラビの酢味噌和えで地酒も減りが早い。 2 時間遅れで 合流となった太郎夫妻(左写真)の登場に話も弾む。 宇賀神さんのボッカトレもどきの話に腹を抱えて大笑いした。 用事のため朝早く帰らなければならないと、 何時になく酒の進みの悪い田宮氏は、珍しくドロ亀に変身することはなかった。
翌朝の朝食後、 大出親子の合流や瀬畑Jrの脱輪騒動で盛り上がる登山組みと記念撮影の後、 賑やかに送り出す。 快晴の空に思わず小屋の外に河岸を変え宴を再開すると、 またまた金沢さんによる焼き鳥屋のご開帳となった。 楽しい宴は 11 時まで続いたが、 なごりを惜しみつつ、 ごみを焼いて撤収とし解散となった。
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