笠堀水系・砥沢川釣行回想録

 
[報告者] 渡部太郎
釣行日:2002/ 4/27 〜 29
メンバー:上田 勉・上田房子・田宮貴男
渡部文子・渡部太郎

 
 あれは一年前、  私が猿田川源流泥又川へ 5 月下旬頃、  一人で魚釣りに出掛けたときの出来事だった。
 泥又川の西 ・ 東沢の出合いに適当なテン場がある。 その日は朝日スーパー林道のゲートも閉鎖されていた事もあり、愛車のモンキーバイクが大活躍。 愛車にまたが り泥又川へ一直線。 勿論、先行者も居ないので川は独占状態だった。雪渓が多く残雪していたこともあって、 岩魚を 2 匹釣った後そそくさとテン場に戻り一眠り。 やがて日暮れも近づきそろそろ晩飯の支度でも、 と思った時「チリン、チリン」と鈴の音が聞こえてくる。 うっすらと暗がりの一帯に鈴の音、 うーむっ。 「 おばけかっ?」と思うや否や、 テン場の向かいのスラブから、 ゴツイ 3 人衆がノンザイルで降りてくるではないか! 呆然としている私に、 笑顔で 「 どーもっ 」 と声を掛けて下さったのが上田さんその人であった。 ( 後で知った事だったが、 上田さんはバドミントンの元国体選手。 同行していた方々は体操のオリンピック候補選手や柔道の先生など ( 3 人とも同じ高校の教師仲間 ) さすがは " ゴツイ " わけである。 )

 上田さんとは泥又川で知り合って以降、 すっかりお友達になってしまった。 上田さんは大の渓好きで、 源流釣り歴は約 10 年。 驚くほど数多くの源流を単独で遡行してこられた、 いわば  " ツワモノ " である。 ご本人曰く、 その遡行スタイルは、 浦和浪漫山岳会の高桑さんに啓蒙されたと云うだけあって、 源流から稜線へ、 そして別の渓へ下るというスパルタ式。 そんな上田さんから 「 太郎くん、 笠堀の砥沢川へ光明山乗っ越しで行かない? 」 との連絡を頂く。 しかも 4 月末のゴールデンウィーク。 うーむっ、 4 月末の笠堀。 頭には大雪渓がよぎる。 私は思わず  「 行きましょう ! 」  と二つ返事をしていた。


 4 月 27 日 午前 3 時頃。 笠堀ダムの駐車場に私 ・ 田宮 ・ 文子の 3 人が到着。 テントを張って早速宴会が始まる。 渓遊会のメンバーの笑い話を肴に、ビールで一杯。 そこに上田さんご夫婦が到着。 ビールで軽く一杯のつもりが、上田さんが差し入れてくれたラガービールがてんこ盛り。  " 乾杯ラガー " の歌声で開始した宴は絶頂を向かえ、いつしか外は明るくなっていた。  「 さー行くベっ! 」 北海道弁を炸裂させながら上田さんが号令をかける。 一昨晩のキャバクラ遊びとビールの影響でヘベレケな田宮氏、さすがにぐったりしている。 早朝 5 時 30 分。 いよいよ出発である。 出発後、一時間ぐらい経過しただろうか、 田宮氏の姿が消えていた。 荷物を降ろし小休止をしていると 10 分ぐらい過ぎて田宮氏到着。 「 こんな生活耐えられない 、 俺は源流釣りを引退して油絵でも描く 」  などと田宮氏、 すでにグロッキー状態。 上田夫妻 ・ 文子 ・ 私は元気なのだが、田宮氏が相当バテていた。 しかし光明山山頂を目指して歩行するにしたがって、 田宮氏のペースも順調に回復。 結局、 光明山山頂に到着した時刻は 11 時 30 分。  " 乾杯ラガー " の後遺症か、睡魔が我々を襲う。 山頂から砥沢川が若干、見て伺える。


 山頂から目指すテン場まで 1 時間 30 分。 今度は雪渓を一気に下降する ( それもピッケル ・ アイゼンなしで ) 。 雪国育ちの上田さん、 たいしたものである。 30 度はあろう急な斜面をリズム良く下る。 私と田宮氏はてんてこまい。 挙句の果てには田宮氏が上から落ちてきて、 2 人そろって雪渓からずり落ちる。 そんなこんなで何とかテン場へ到着。 時刻は 1 時 30 分。 睡魔の影響と 8 時間もの長丁場ですっかり疲れ果てていた私と田宮氏。 ところがどっこい、 上田さんは俄然やる気満々状態。 テン場の設営から薪拾いまで、 全てをこなし仕事きっちりである。 疲れのせいで竿も出す気がなかった私は、一休みした後いよいよ砥沢川に入渓してみた。 その時田宮氏は、珍しく上田さんと一緒に山菜採りに励んでいるではないか! ( 初対面だったのでめずらしく仕事に励んでいたのであろうと思われる )。


 砥沢川は雪シロの影響で恐ろしく冷たい。 ネオプレーンの靴下を忘れた私は 3 分も経たないうちに足の感覚を失い戦意喪失。 それでも粘るが、雪シロのせいか天候はいいのだが絶好のポイントで魚が出ない。 そうこうしているうちに、 足は寒さのおかげでちぎれんばかり。 入渓後、 30 分であえなくグロッキー状態になった私、 そそくさとテン場へ逃げ込んだ。 そこで私を待ちかまえていたものは " ニヤリ " と不気味に微笑んだ田宮氏と焼酎だった。
 時刻は未だ午後の 3 時半ぐらい。 いきなり焼酎をあおり、 テンションのボルテージが急上昇。 田宮氏持参の 2L 焼酎はあっと言う間に半分無くなり、 宴は絶頂を迎える。 前夜殆ど一睡もしていない我々は、 9 時まで宴会を続けたがもはや睡魔に勝てず撃沈した。


 翌朝、 昨晩炊いた飯でチャーハンと山菜たっぷりの味噌汁で朝食を済ませる。 いよいよ本日は釣り三昧、 と言いたいところだが水の冷たさの為入渓をためらっていた私と田宮氏に 「 今日は全員金蔵沢まで行くぞ!! 」 と上田さんの号令。 なおも躊躇ためらう田宮氏は 「 今日は山菜を採りたい 」 などと訳もわからんことを口ずさんでいた。 結局 10 時頃、 皆で砥沢川に入渓する。 たくましいのは上田さんの奥さんだ。 力強い歩きはもとより、 川の遡行もまずまず。 見ると満面の笑みを浮かべその手には釣り竿が握られているではないか。 心の中で私は思わず口ずさんでしまった。 「 奥様、恐るべし!! 」

 上田夫妻 ・ 田宮氏 ・ 私とで竿を出すが、 絶好のポイントで魚が出ない。 相変わらず水は恐ろしく冷たい。 思ったほど雪渓は少ないのだが、 やはり雪代の影響だろう。 上田さんはキジを餌に釣るが、 食い気が見受けられない。 そうこうしているうちに金蔵沢の出会いまで来た。 テン場から釣りをしながらのペースで 40 〜 50 分といったところだろうか。 すると先程とは一変してアタリが出始めた。 私も上田さんも何匹か釣り上げた ( 私は今年初の岩魚 ) 。 テンカラの田宮氏はバックに持参したビールを飲みながら上機嫌。 釣れなくてもおかまいなしだ。 金蔵沢出会いにてビールで乾杯した後、 我々一行はテン場へ帰った。

 テン場へ帰ったのはいいが、 時間はお昼を若干過ぎた程度。 お昼のラーメンを皆が食べているにもかかわらず、田宮氏と私は" 居酒屋砥沢川 " に入店してしまった。 ラーメンなど口にせず、一気に焼酎をあおる。 徐々にテンションは上がり、 あっという間に夕方である。 他の者も我々には呆れ返り、 ただ笑っていた。 ちなみにその晩の夕食はお好み焼き。 これがまた絶品で皆に好評であった。 前夜は山菜の天ぷらや鳥のから揚げ等々。


 翌朝、 皆がさわやかに 「 おはよう 」 の挨拶を交わしている頃、 田宮氏はシュラフに包まれ大いびきを発していた。 そそくさと銀シャリを炊き、 納豆と味噌汁で朝食。 朝食を摂りながら、 初日に一気に降りてきたルンゼをふと見上げた。 これをまた登るのかと思うとゾッとする。 食後撤収を終え、 砥沢川に別れを告げ出発。 何とか急な雪渓ルンゼを登りきり、 8 時間の道のりを経て笠堀ダムの駐車場へ到着。 途中、 私が雪渓の斜面から転げ落ちるというハプニングもあったが、 なんとか怪我も無く全員無事に帰還できた。

 今回の釣行は、 まだ 4 月下旬という事もあり、 通年だと「足慣らし釣行」をこなしているところだが、上田さんとの出会いは従来のパターンを全く新鮮なものに塗り替えてしまった。 4 月末といえ、 今回の釣行は " バリバリ本チャン釣行 " であった。 田宮氏も上田さんにすっかり気に入られてた様子だ。 しかし田宮氏 「 次回は一体どんなすごいスパルタが待ち受けているのだろうか? 」 と、 すっかり怖気おじけ づいている。

 10 年間という期間に驚くほどの豊富な遡行経験を有した上田さん。 山・釣りの実力ともに逸材でおられる。 上田さんは今年の 3 月、 宇都宮渓遊会に入会された。 御年 50 歳、 未だ体力バリバリの高校体育教師である。人格の素晴らしさもさることながら、 大のラガービール愛好家でもある。 私としてもまた一人、 頼れる兄貴が宇都宮渓遊会に入会された事を心から歓迎したいと思う。



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