Fishing2013釣行記 6さんさい腸行記!?
6さんさい腸行記!?
 
  
[報告者] 林出政治
[写真] 本宮和彦  
釣行日:2013/5/25〜26
 メンバー:齊藤敦、江口昌俊、江口利子
 阿部光延、本宮和彦、佐藤将也
 板坂拓、林出政治
 
 
 「偏屈親父」にまたかち合ってしまった。リンドウの真ん中に駐車し、誰も通れないようにしており、第一声が、
「通さね。」

昨年と同じ台詞である。一泊なので先行する気がないことや後から仲間の車が2台来ることを話し、軽ワゴンを路肩に寄せてもらい、駐車場に入ることができた。
 昨年、この車止めから右の沢に入り、山越えで左の沢から帰ってくる予定の時も、この本宮(もとみや)の偏屈親父に先行され、1週延ばす羽目になったことを思い出しながら、二人、車中で酒盛りをしていると、程なく本宮氏のパジェロと江口夫妻の車がやってきたが来た。

 早速、本宮氏がブルーシートを敷いて、明日の釣行を祈って乾杯した。齋藤さんの煮物、板坂さんの乾き物、佐藤さんの酒どれも美味い。齋藤さんが一番先にできあがり、車中に引き上げたのを合図に、残りの5人も引き上げることにした。
 
 「しまった。」

 車中は、猛獣檻の中のに入ったようなはなぐら(福島の方言で鼾<いびき>のこと)が響き渡り、ジャンパーとオーバーズボンでは身にしみる寒さを防ぎきれず、煌々と光る月を眺めながら一睡もできずにいるうちに、恐怖の逆流性食道炎に襲われてしまった。


 すっかり忘れていた。深夜は飲食禁止のみであることを。ビールは500ミリリットルまで、脂っこいもの、刺激の強いものは口にしないことを。いやしこ(同:卑しく)したために、胃酸はは腸に行かず、本人は釣行に行かずという結果になるとは、このときは夢にも思わなかった。


 小用のため、駐車場にたたずみ、白ずみかけた空を見上げていると、例の偏屈親父がむっつり、黙々と急ぎ足で上流へ歩いて行った。


 早く起きる必要もないので、本当は出発準備の時間だが、寒気もするので誰も起こさないようにして車内に戻った。寒さに震えながら後部シートに寄りかかり、後悔しているうちに、鳥が鳴き、夜も明け、齋藤さんが目を覚まし、遅くなったと他の者達を起こし始めた。

 寒さに震えながらも、準備完了。



爽やかな朝

    足取りも軽く

 
    小さな春

 
     
    コシアブラ

 
     
    採取は江口夫妻にお任せ

 


 私は、最後尾を歩くことにした。杣道から、沢近くに来たとき、私だけが沢通しで歩くことにした。なぜなら、そこからはアップダウンがきつく、杣道も無いに等しいからである。

 去年根本さんがリモコン1号として操作されて採ったタラの芽はネモ毒にやられたのか芽がついていない。でも、アイコ、シドキ、赤コゴミが目に入ったが、帰りのお土産にしようと採らないで、ただ見ていたが、いくら見ていても後続がこない。絶対、先には行っていないのに。飽きたのでまだ歩き始めた。ふらふらと。

 ウド、ウルイを見ながら、後続を待っていると、やっと、佐藤さんの姿が下流から現れた。やっと蛇の恐怖から逃れられると安堵した。



春真っ盛り    

   ウド


     
   アブラコゴミ
(アカコゴミ)


 


 いいゼンマイもある。食べ頃のコゴミだ。などと見ている内にテン場についた。

 各々が、薪を集めたり、タープを張ったりし、すっつかりテン場の準備が終わると、乾杯をして、昼飯の材料を背負い、上流向けて出発。


テンバのマザーツリー


渓のテルマエロマエ
濃いですね〜


無事テンバが出来上がりました




 私は、胸焼けがひどく、体調も思わしくないので、残ることにした。ザックに寄りかかり、新緑の美しさを堪能しているうちに眠ってしまった。



板山氏は阿部さんからもらった竿で挑戦

江口さんはテンカラ




 

今年入会の佐藤さんにはイワナが

雪渓と冷たい流れ


     
   子どもの手のようなウドの芽

 
     
   山菜天ぷらとソーメン

 
     
   それでは、いただきます!
その頃筆者へテンバで・・・


 
     
   上流には分厚い雪渓が

 
     
   齊藤さんがかけた中型イワナ

 
     
   冬を追い越す春の木々

 


 何度目かに目が覚めたとき、各々が得物をぶら下げて帰ってきた。その後は夢うつつである。
 夜が明け、乾杯し、まったりとし、朝飯をすませ、乾杯し、ラーメンを食べ、12時を過ぎたので撤収する。もちろん、山菜を採りながら。



初参加の江口夫妻

Vサインが出るほど復調しました


きれいに片づけ撤収です


 この山菜釣行での一番の収穫は、阿部さんが私のリモコン1号になったことである。

 「あそこにウドが」といえば、颯爽と崖を登り、採ってきてくれる。齋藤さんのリモコン1号のように文句などは一切言わないのがまたいい。


 そんなこんなで、安着ビールを飲んで、解散。

 
通称アベコン







 ワラビ組合の組合長に駐車のお礼をするため、車内でパンツ一丁だった齋藤さんにズボンをはかせ、玄関で「こんにちは」と声をかけると、障子の影から「あがれ、あがれ」という声。まだ名乗ってもいないのに、顔を見てもいないのに「茶、のんでけ」の声。少しためらっていると、ばあさんが出てきて、「茶、飲んでけ」と招き入れられて茶の間に上がった。組合長は居らず、じいさんがいたので、お礼の一升瓶を出しながら、名前とお礼を言った。ワラビ園開園の初日にもかかわらず、快く駐車させていただいたことに感謝した。170名の入園者があったそうである。齋藤さんはとっさに今日の収入を勘定したようだが、わたしは、それ程の人数で駐車場が足りたのか心配になった。

 ばあさんが新しいお茶を急須に入れ、お茶をついてくれた。その時、○○さんの目がきらっと光った。何と、ばあさんはばあさんらしく上半身下着一枚なのである。

 渇いたのどを潤すお茶が妙にうまい。高級な茶なのだろうか?いや水がうまいのだろう。「行者ニンニクとウルイの漬け物だから食え。」と勧められ、いただくとその旨いこと美味いこと。齋藤さんが帰りの車中で「俺もつくってみる。」というほどのものであった。実際、次週の山菜釣行で現地でつくった。しかも、行者にんにく醤油で。美味。

 「旨い漬け物ですね。」とじいさんに話しを向けると、
「ウルイは袴が黄色くなったら固くて食えねえ(食えない)。」という話しから、堰を切ったように様々な話を聞くことができた。福島弁を守る会の会長ですら、話の内容の9割がらしか分からない小国言葉で話された。それは、およそ次のような内容であったのであった。

 すこしは巻き狩りも行ったが、じいさんは主に輪をかけたそうだ。それも一重では絶対に掛からず、箸ほどの太さのワイヤーを輪にし、細いワイヤーをそれより一回り小さくして2重にするらしい。木の実が実り、冬眠のために荒食いする季節に、熊の通り道である鞍部に仕掛けるそうである。熊がそこを通ると、首ではなく、胴の部分で輪が締まり、如何に彩芽の熊もとい剛力の熊でも逃げ出せないという。ただ、たまにワイヤーが傷んでいて切れることもあるようだ。輪に掛かった熊は大暴れしているので、なだめるようにそおーと近寄って、鉄砲でアタマをズドンと撃つそうである。それで30頭も40頭も捕ったそうである。
 熊の肉がうまいという人がいるが、珍しいからで、固くてうまいものでないこと、熊の皮は持ち帰らないで、捨ててくること、今は敷物なんてはやらないし、買う人がいないこと、などを話された。
 また、 カモシカの肉は、羊の肉のように臭くて美味しくないという。これには正直とまどってしまった。それは、かつて福島在住の猟師から「日本にいる獣で一番美味いのはカモシカだ。」という話を聞いていたからだ。
 猿の肉が一番うまいそうで、何のくせもないそうだ。「猿の肉は固い」と聞いていたのでこれも意外な話だった。
まだまだ話を聞きたかったが、脳みその許容量を超えたので、いとまごいをすると
「去年の春生まれた猿の子を見て行け。」と猿の檻に案内された。人に良くなついた日本猿の子の毛繕いをして家路についた。
「今度また話を聞きにくっかい?」
「今の内、口述筆記をしておかないと途絶えてしまうな。」などと話しながら。


(はやしで まさはる)
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