渓遊会 入会秘話 | ||||
平 江 誠 |
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私の記憶が確かならば(料理の鉄人ふう)、渓遊会に入会したきっかけは瀬畑雄三氏のTV番組『ドキュメンタリー人間劇場 源流釣師の渓語り』だったように思う。 当時は渓流釣りにはまり始めた頃で、単独釣行に限界を感じ始めた頃でもあった。 そんな折、人間劇場『渓語り』を見たときには、飛び上がらんほどに驚いた。“私の求めていたのはまさにこれだ!!” といった感じで、食い入るように何度もビデオを見直したものであった。 しかしビデオを見ているばかりでは瀬畑さんに会えるわけもなく、渓遊会の存在すらも分からないままであった。 頼りの綱は駒込にある居酒屋“むかご”である。 幸運なことに、私の友達が 3 人ほど駒込に住んでおり何度も訪れた地であることだった。 そのうえ一人は何と“むかご”の常連客であったのだ。 まさかそいつが“むかご”を知っているとは露知らず、釣りも禁漁となった 10 月に駒込にて飲んだ折、「お前“むかご”って居酒屋知ってる?」と尋ねる私に、驚いたように「なんでお前が“むかご”を知ってるの?」と逆に聞かれた程であった。 早速案内を頼み河岸を替えることにした。 初めて入る“むかご”はTVで見たのと同じで(当たり前か)、ママの“ようこ”さんも今とは打って変わって??優しいもてなしであった。 初対面の私に「今家にいるから呼ぼうか?」とまで言ってくれた。 そのときは謹んで辞退したものの、二回目に店を訪れた時には瀬畑さんを呼んで頂き、なま“瀬畑雄三”を拝むこととなったのでありました。 瀬畑さんは、緊張と興奮のため直立不動の私に「まあまあ掛けなよ」と自然体で話し掛けてくれた。 その上、「今度“鍋パーティー”があるから、家に来なよ」とのお誘いまで受けた。 図々しくも瀬畑さんの言う鍋パーティーとやらに参加させて頂いたが、訪れてくる人達は当時の『渓流』編集長の吉川栄一氏をはじめ、浦和浪漫の高桑信一氏、カメラマンの丸山剛氏、遠藤きよ美女史と釣り雑誌でお目に掛かる有名人ばかりである。 鍋は始まる気配もなく、本日の主旨を全く理解できないまま恐縮して隅で小さくなっていると、瀬畑さんがいきなり毛鉤を巻き出した。 あっという間に 5 、 6 本巻き上げると、今度はラインを編みだした。 どうやら釣り雑誌『渓流』の取材であったようだ。 丸山さんがバチバチと写真を撮っている。その模様とラインと毛鉤はしっかりと翌年の渓流春号に掲載されたのでありました。 その上、何と掲載されたラインと毛鉤を頂き、今は我が家の家宝となっております。 またその折に「きのこ採りがあるから、良かったらおいでよ」と誘って頂き、赴いた先は何と谷川岳にての『岩遊』恒例熊鍋であった。 雑誌でしか見たことのない豊野さんや小村氏、田村氏、石関氏と この時もhamanabeさんより渓遊会の忘年会にお誘いを受け、またまた図々しく参加させて頂いたのであるが、会場となる鹿沼の研修センターに入ってびっくり仰天となった。 なんと瀬畑さんが調理場で仕込みをしているではないか!!。 瀬畑さんには宇都宮渓遊会に入会することは一言も言っていないはずなのに・・・。 恐る恐る瀬畑さんに近づき挨拶をすると「あれー、平江ちゃん!!どうしたのー!!」と驚いていた。 入会の旨を報告すると、「そうかい!!、よろしくねー」と喜んでくれた。 この時初めて瀬畑さんが渓遊会であることに気づいた次第であった。 またこの時に、奇しくも同じ年の田宮氏と意気(酒気?)投合し、それ以来良き付き合いをさせてもらっている。 偶然だけでなく、自分で進み出してこその必然的な出会いに運命を感じつつも、釣りだけではなく人生において欠かすことのできない最高の仲間を手に入れることができ、人間としての幅を広げることができました。(決して太ったということではありません。あしからず・・・)これからの新たな出会いを期待しつつ、より楽しい釣り人生を送りたいと思います。 我が渓遊会は永久に不滅です!!(パクリ) 来期も楽しい釣行ができることを祈りつつ・・・乾杯!!。 |
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