我流テンカラへの道 | ||||
高瀬 賢一 |
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我宇都宮渓遊会には、鉄人、名人、達人、玄人とよばれる人達がキラ星の如くいらっしゃる。 もちろん大自然の中での遊びの世界のことであるが、釣り、山菜、きのこ、サバイバル等その知識、経験たるや正に 『おそれ入谷の鬼子母神。』 である。
とにかく楽しい仲間達であるが、そんな中にあって、自分も何か自慢できるものはないかと考えたとき、やはり我流ではあるが釣りかなァーと思い、自己紹介を兼ねて自分のテンカラ釣りへの思いを、又、そのスタイルを紹介させていただく事とした。
最近は釣り人口も増えて、それぞれに色々な釣りを楽しんでいるが、共通ルールは『来たときよりも美しく 』だと考えている。
昔から釣りをする人の数だけ釣りのスタイルが有るとと言われているし、それぞれに魚とのかかわり方を持っており、又、自分流を極めようとしている、結構なことだ。 とにかく、何とも楽しい遊びの世界であることには間違いない。 私はと言うと、もちろん渓流の世界にどっぷりとハマッて、素晴らしい先輩や、楽しい仲間達に囲まれて、普通の暮らしをしている人たちには、見ることも出来ない世界を堪能している。 私の渓流釣りのスタートは、21歳の時に栃木県黒磯市の蛇尾川に連れていっていただいたのがはじまりで、あれ以来飽きることなくつずいている。
女房殿に言わせれば、『 よくまァ−休みの度に 』であったが、その女房殿も今では時々 東北の渓で一緒に毛鉤を振っている。
ダムが出来る前の今市の砥川では、そのルアー竿を使って、よく山女魚を釣ったものである。私をこの世界に誘ってくれたのは、小学校へ入学する前からの、55年来の親友である宇塚氏である。 彼は、日光の釣り仙人と呼ばれていた伊藤乙次郎氏の孫に当たる。 乙次郎氏は母方の祖父で、日光の西湖のほとりに居を構えておられ、白い髭が印象に残っており、ずいぶん昔の話ではあるが、最初にお会いしたのは確か、中学2年の夏であったと思う。 宇塚氏には渓流釣りだけではなく、ルアー釣りも教えていただき、当時としては珍しいルアー竿や、カップ式のリールもいただいた。 そんな訳で 私のこの渓流釣りの世界へのスタートは、正に由緒正しい師匠からの手ほどきを受けて始まったのである。
だがしかし、私の今のスタイルと言えば、由緒正し師匠からの手ほどきを受けたのにもかかわらず、全くの我流、『なんだ、こりゃー。』の、ごちゃまぜの釣りスタイルとなってしまったのである。
なにがどうして、こんな釣りになってしまったかと言うと、そのキッカケはある日テンカラ釣りの入門書を手にしたときからはじまったのである。 当時その入門書を読み終えたときの感想は、毛鉤の釣りと言うのは何と奥の深いことか、職業釣師が生活の為、自分の沢を持ち,各々があみ出した技で、その技を尽くして一旦沢に入るやいなや、岩魚がまるで毛鉤に吸い寄せられるように出て来て、ポンポンと宙を舞い、釣師の手に収まるような、又、あるときは大物が竿を曲げてしまい、竹で作られた竿など使い物にならなくされてしまうような、そんな眼の眩むような世界であった。 カッコいいし、岩魚はガンガン釣れるし、こんな書き方をされたんじゃ誰だってテンカラ釣り、やりたくなっちゃうでしょ。 まあそんな訳で、私も10年目にして騙されるようにして新たな挑戦が始まったのである。 私のテンカラ釣りには師が多く、キッカケは上記の通りであるが、後に同行した方々より少しずつ教えを受けたり、自然の中から学び取ったものばかりである。 季節によって、天候によって、流れによって、深さによって、石の形や位置によって、又、釣れたことによって学び、少しずつ自分のスタイルが造られたように思う。 ご存知のように毛鉤釣りには、主流になっているテーパーラインを使う方法と、数は少ないが フラットラインを使う方法に別れ、さらに毛鉤を浮かせるか沈ませるかにわかれる。 忘れてならないのが、外国から伝わったフライフィシングである。 これらの釣りが複雑に係わり合い、絡み合って毛鉤の世界を形作っていると私は考えている。 まあどれもそれぞれに面白いのだが、私の場合はテーパーラインで始まり、ついにはフラットライン、浮く毛鉤の組み合わせにたどり着いた。 仕掛けを簡単にご紹介させていただくと、3,9Mのテンカラ竿、2,5Mのフラットライン、2号2,5Mのナイロン製のハリス、そして毛鉤、これが基本で障害物や沢の大小により、変化させるいたって単純な仕掛けだ。 今は毛鉤も一種類だけしか巻いていないが、4っの変化に対応出来るように微妙に巻き分けては いるが。又、毛鉤についてはアイ付きの針は使わず、普通の岩魚針を利用している。 これは少しでも軽くして浮かせたいが為と、アイの部分を後から大きく造ることで毛鉤の交換が簡単に出来るようにである。 釣り方については、どなたも同じような事に気を付けられていると思うが、基本的な事を大事にしている。 まずポイントの見極とか、それに合わせて立ち込む位置を決め移動するとか。背後の障害物に引掛からないに竿をふる(後ろに反動をつけないで、竿のしなりとラインの重さだけで前方へ飛ばす。)、毛鉤は一投目でポイントへ、合わせをくれる前に竿を振る方向をきめておく、そして軽く合わせるとか。 最後は木化け、岩化けである(岩魚に気ずかれないように静かに)、これを心掛けている。 めったに人の入らない源流では、こんな気使いは無用の介であるが、人の良く入る沢ではこの気 使い、心掛けが釣果を大きく左右する事を今では悟っている。今はこれで結構いけると確信が持てるようになった。 そして、餌さ釣りから毛鉤釣りに変えての釣行で、徐々にその変化に気付き始めたのである。 餌さ釣りが未熟だったせいもあったが、当時7〜8年通っていた山形県のN川で、釣れる岩魚の数やサイズが、ワンランク上がったのに驚かされた。 狙うポイントが深場から浅瀬に変わり、今までは気にも止めなかったところから大型が飛び出すのである。 最初の頃は正に感動、そして得た教訓は、 教訓1 大型の岩魚は浅い瀬を狙え。 教訓2 釣果は、朝マズメ、夕マズメよりも昼間の方が面白い。 正に目からウロコで、この教訓を生かし、キャンプの楽しみ方も変える事となり、どう変ったかと言うと、朝はゆっくり起きて朝食を作り食事を楽しむ、10時頃から釣り始め夕方は4時頃に終える。夕食の準備、そして酒と料理と焚き火を楽しむ、それと釣りながら周りの景色を楽しむ余裕も出来た。良い事ずくめというわけでわないが、それでもテンカラ釣り入門書にかいてあった『夢のような世界。』を体験することもあるのだから嬉しい。 何でも入れて煮込んだ、翌朝に残ったケンチンのような、ごちゃ混ぜの『なんだコリャー』の釣りであったものが、少しずつ、我流テンカラ、十人十色の、色の部分が出せるるようになって来たのかも知れない。 毛鉤つり名人の小池事務局長より、たまにお褒めの言葉をいただくまでに進化してきた。
まあこんな感じの釣りをやってます。 興味のあるかたは、是非ご一緒に。
これからも可能な限り、この楽しい仲間達と焚き火を囲みたいと願っている、又、渓遊会の活動を通じて、次の世代に大切な自然を残す為の活動も続けたいと願っている。我、宇都宮渓遊会も、どんどん素晴らしい若手が入会され、中心となり、世代交代が進んでいる。一時代を築いた先輩達も、さすがに創設40年、年輪が増え源流、魚止めは厳しくなってきているようにお見受けする。(一人二人別格の鉄人はいらしゃるが。) |
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