渓語り翁
白神巡礼倶楽部
代表 吉川栄一




山と人と


 私は山登りと同じくらい渓流釣りが大好きです。 未知、未踏を求めた沢登りがおもしろくなり、地下足袋にワラジ掛けで全国の谷を歩き始めたころ、源流に棲むイワナという渓流魚に出会いました。

 十五年ほど前、ある雑誌の取材で瀬畑雄三さんと白神山地の赤石川に同行する機会に恵まれ、山の仲間のなかで「渓語り翁」と呼ばれていた瀬畑さんのテンカラ釣りに接することになります。 瀬畑さんは、栃木県の前日光山地に伝承されていた日光テンカラ釣りを基礎に、瀬畑流のテンカラ釣りを確立したテンカラ釣りの第一人者です。

 テンカラ釣りとは和式毛鈎釣りのことで、多くは山間地の職漁師たちが伝えてきた釣り方です。 虫を擬したシンプルな和式の毛鈎(疑似バリ)で魚を釣る方法です。 この釣りを白神で手取り伝授されたのです。最近、この時の逸話も含め、源流釣りの秘話をまとめた「新編 渓語り」(つり人社刊)を出版されました。
 餌釣りは餌を水中深く沈めますが、テンカラは毛ばりを水面か水面直下を流します。この釣りは魚が深みからグワーと出てきてガバッと毛鈎をくわえるところが見られるのです。一発でテンカラの虜になってしまいました。以降、私は勝手に瀬畑さんを「師匠」の座にすえました。

  瀬畑さんの凄いところは釣りだけではありませんでした。登山(遡行)技術、野営(生活)技術はもちろん、山菜、キノコにはじまり森の木々、草花、動物にまで実に博学で、一流の博物学者と言っても過言ではありません。

  登山技術は日本の山人たちの伝統的な技術を伝承しています。例えばザイルを使っての懸垂下降はイワタケ採りたちの用いる下降技術ですし、焚き火の着火剤にマタギが用いたカンバの皮(倒木からしか採りません)を使ったりします。明らかに近代登山技術とは異なる体系のそれを身につけているのです。

  しかし、一番素敵なのは自然を見つめる眼の優しさでしょう。「森の生活」を書いたヘンリー・D・ソローが「釣り人として森に入り、詩人なり博物学者として出てゆくこと」と書いていたと思いますが、山と深く接することによって覚醒し獲得できる優しさは、現代の都市生活では絶対得られない豊かな心だと、瀬畑さんを見ていると思います。


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